プロフィール

初めまして
子どもとママの「根っこケア」セラピー
セラピストのAYUMIです。

私のプロフィールまで辿り着いてくださり
ありがとうございます。

なんだか
イメージセラピーやら栄養やら
よく分からないけど
「やってみたい!」
と思っていただいたり

「私自身も心のケアが必要かも!」
と気付いて下さった方が
プロフィールを見て下さっているかと思います。

でも…
どんな人なの?
信頼できる人なの?
ってことが気になるところですよね。

そんな不安を
少しでも不安を払拭できればと思い
私のプロフィールや経歴・想いを
赤裸々に書き綴りました。

私がこれまで
どんな想いで発達やカウンセリングを学び始め
どんな体験をしてきて
どんな未来を作っていきたいのか…

そんなことを
まとめています。

共感できる!
話してみたい!
根っこcareを体験してみたい!

そう思って頂けたら幸いです。

5分で読める簡単プロフィール

私自身、過敏なタイプの子どもでした。

幼稚園時代には
周りの友達が私のおもちゃに触ろうものなら
猿のように暴れ出して引っ掻いていたらしく
(私自身、なぜそうなったのか記憶にございません)

不安が強くずっと指しゃぶりしているような子で
園の発表会の時には
突然泣き出して
特定の位置に座っていないとダメな子でした。

でもこういった状態になってしまうのが
自分では何故だかわからないのです。

楽観的で社交的な母親からは
理解できないとばかりに

姉と比較されたり
存在を否定されたと感じるような
声かけを受けた事ばかり
記憶に残っています。

親からしたら些細な声かけでも
それが自分自身のイメージを作り
私はダメな人間だ…

そう思うようになっていき

頑張っていないとダメだ」等
自分自身を苦しめる思考を作っていきました。

そうして
拒食症になったり
逆流性食道炎を繰り返したり
甲状腺癌を患ったり
20代まで体も心もボロボロになって
過ごしていました。

それでも
自分の身体を省みることなく仕事を続けていきました。

子どもができる前までは、何とかやってこれたのですが…

結婚•出産し、自分の管理だけで済まなくなった時に
どんどん
なし崩しに心と体が壊れていきました

私が、任された仕事をやり切らないと
私が、子どもの相手をしないと
私が、家事をしないと
と、全部自分で抱え込み

眠れない
食べれない
周りがみんな悪口を言っているように感じる

そんな状態になり
「うつか、適応障害」
と診断されることになりました。

それがアダルトチルドレンの要素だと気付いたのは
カウンセリングを受けてのこと。

私は、私自身を苦しめる思考を持っていた
ということに驚くとともに

それは幼少期の親からの声かけに
大きく影響されていた
ことに気付きます。

とはいえ
長年の思考の癖は
中々自分で覆すことが難しく
「自分を労わる」ことも上手くできずにいました。

そんな中
イメージセラピーに出会い

イメージセラピーを通して
自分の中でわだかまりとなっていた親との関係も
対面しなくてもスッと解消されたのです!

そうして
同じように自己肯定感を高く持てず
生きづらさを感じている子どもたちやママを助けたい
そういった「夢」を持てるようになります。

そして
その時たまたま見つけた
児童発達支援の求人に応募し無事採用。

そこでは
集団に馴染めない
集団に埋もれてしまう
そんな子供たちが多い場所でした。

発達障害の分野のみならず
子どもの業界が初めてだった私は
とにかく無知で

それでもこの子達のために
思い悩む母親のために
助けになりたいと

暇があれば
発達に関する本を読み漁ったり
講義を聞きに行ったりと
無我夢中で勉強しました。

そうして勉強しているうちに
発達を促すには 栄養・感覚・呼吸・睡眠など
根本的なアプローチが多方面から必要であることを知りました。

また、それらは子どもに限ったことでなく
親自身の生活から見直さなくてはいけない
ことだと気づきます。

なぜかというと
発達障害の症状を引き起こしている1つの要因が
「質的栄養失調」になりやすい現代の食卓
なのです。

「もっと深く知りたい!」と
出会ったのが
分子栄養学でした。

子どものためと思って始めた栄養でしたが
驚いたのは
分子栄養学を実践することで

私自身が
仕事の後も、家事や子供と遊ぶ余裕が生まれた
イライラしにくくなった
人の目が気にならなくなった

と、心と体の安定に繋がったのです!

さらに
息子にもいい影響が出てきて

それまで
かなりの偏食・少食で
幼稚園に行きたくない!」と
登園渋りが酷かったり
身長が伸びなかったりと
心配していたのですが


登園渋りが減り
食欲も出てきて
身長も伸びるようになりました!

そうして
「子どもの不調の背景には
お母さんの不調もあるのでは?

食事や生活から見直せば
もっと親子の生活が豊かになるのでは?

と考えるようになりました。

そういった思いが募り
私のように不調を抱えるお母さんと
子どものために

私の学びを活かして
サポートできるようになりたい!

と思うようになりました。

そんな想いで
ママと子どもの生きづらさを解消ために
根っこcareセラピーを行っています。

もっと詳しいプロフィール

自分を卑下することが当たり前だった小学生時代

私の小学生時代は大人の顔色を伺っているような子どもでした。

母親はパートで働いていましたが
家に帰ってくるとイライラしていることが多く

部屋が散らかっていたり
何か気に食わないことがあると
怒り出すような人でした。

父親は普段家におらず
(というか夜中に帰ってくるので
ほとんど会うことがなかったのですが)

時折お酒を飲んで説教が始まったり
お皿を投げたりして
空気が凍りつく事件もあったほど。

母親は
家では父の悪口ばかりだったこともあり
自然と父親と距離を置く子供時代を過ごしていました。

そういうこともあってか
子どもの頃から大人が怖くて
挨拶すらもびびっていたような子供でした。

注目を集めるのも苦手
人前で話すなんてもってのほか。

人の顔色を気にしてしまうので
自分のことをうまく表現できないのです。

一方私の姉は、私とは対称的で
「前世はマリーアネット」
なんて言っているくらい自分が大好きな人でした。

私も、姉のことはとても可愛いと思っていました。
母も「お姉ちゃんは美人。アナウンサーになったらいい」
と言っていたのを聞いて
逆に私は可愛くないってことなんだろうなと
自分を卑下することが当たり前になっていきました。

大人にうまく取り入ることができる
社交的な性格も持っている姉を
私はずっと羨ましく思っていました。

だから
姉がやっていることを色々真似して
姉が好きな服のブランドを選んだり
姉がゲームをやったらゲームをやり
姉が漫画を描いたら漫画を描いていました。

でも
ゲームやら漫画やらを私がしていると
母親から心配され
姉の真似をしていただけなのに
私にだけ「オタク」だと嫌味のように言われることもあり
自己肯定感を高く保てずにいました

たった1つの親の言葉から、摂食障害になった11歳

そんなある日
親が近所の人と話している時に
あの子は存在感ないから
と自分のことを言われているのを聞いてしまいました。

10歳の子どもの私には相当ショックな言葉で
深く、深く、落ち込み
部屋にこもって泣いていたことを今でもよく覚えています。

親から「存在感がない」と言われることは
つまり「存在価値がない」と思われているのだと
解釈したからです。

前々から
「あんたは花がない」
「虐められてるんじゃないか」
「いつか自殺しそう」
なんて言葉もかけられていたこともあり

「あぁ、全て『存在感がない』と、そういう意味だったんだな」
と理解しました。

そうして
その後の人生において
「私は存在価値がない」と言うイメージ
こびりつくようになります。

「どうせ私の発言なんて価値ないし」
「私なんて愛される価値ないし」
とどんどん屈折した性格になり
笑い方がわからなくなります。

むしろ自分の笑顔が
気持ち悪いなと思うようになっていきます。

でも
そうやって生きていくのは辛すぎて
「生きている意味」を求めるようになるのでした。

自分の生きている意味を探すには
「存在感がない」と思っている親を
否定する必要がありました。

そして
親のようになりたくないと強く思うようになり
そこから派生して
あんなに太りたくない
と思うようになりました。

そうして
食事を食べるのを極端に減らすようになり

やがて
空腹感が気持ち良くなり
11歳にして摂食障害になってしまいました。

でも数ヶ月経って気づきました。
身長が伸びない
運動神経が悪くなっていく
ということに。

それまで
背の順は一番後ろだったのですが
全く伸びなくなり
徐々に周りに背が抜かされるようになります。

運動も
それまで見本で走ったり
器械運動をしていたほどでしたが

短距離走は後ろから数えたほうが早いほど遅くなり
明らかに運動神経が悪くなっていきました。

成長期に摂食障害になった代償は大きく
それが、きっかけを作った親への憎悪を強めるとともに
自分への虚無感を募らせることになりました。

周りの評価を気にして自分を押し殺していた中学生

食べなかった分を取り戻そうと
逆に食べるようになった小学校6年生以降。
太ってしまって顔はパンパン。

そんな時、中学で仲良くなった友達に
摂食障害のようになったことを話したことがあります。

かなり根深い悩みだったのですが
その体型で拒食症はないでしょ」と
笑い飛ばされてしまいました。

この出来事がきっかけで
人に悩みを打ち明けたり
心を開くということが
自分にとってとてもハードルの高いもの
になっていきました。

その後、運動部に入り痩せたことで
「可愛い」 と言ってくれる人がでてきました。

今まで自分が
「可愛い」だなんて思ったことがなかったので
それはそれは嬉しくて

心を開いて話さなくても
周りらの評価をよくすればうまくやっていけるんだな
と思うようになります。

だから
周りからの評価をよくしようと
合わせて話す
合わせて笑う
合わせて行動する
ようになっていきました。

絵を描くことが大好きでしたが
絵を描くなんて暗いと思われそう
という発想でどんどん離れていきました。

そんな「自分の好きなこと」からも離れて
「自分と向き合う時間」をどんどん減らしていきました。

こうして
自分を押し殺すことが「いいこと」なのだ
と誤学習していく
のでした。

自分と向き合わないよう過ごしてきた青年後期。その代償は…

高校生になってからは
バイトに精を出すようになります。

働き始めると
お金が入っていること以上に
誰かの役に立っているということが
嬉しく思いました。

生きている価値を得られる感覚でしょうか
逆に
家でダラダラしているような状態が
私にはいけない事のように
感じられるようになりました。

だから
バイトを2つ3つ掛け持ちして
週6〜7とかで働くようになります。

バイトしていれば
嫌な家で、嫌な思いもしなくていい
私にとって、一石二鳥でした。

当然
疲れて毎朝起きれず
学校は毎日のように遅刻していきました。

勉強なんて全くしませんでした。
勉強をしなくても
働いていれば自分の価値を感じられる
と思っていました。

大学に行っても、社会人になっても
その考えは変わらず
スケジュールを埋めることに夢中でした。

時間を埋めることに必死で
自分と向き合う時間を取らずに生きていました。

そんな時
25歳の時に受けた健康診断で
甲状腺肥大のため要精密検査
という通知を受けます。

念のためと思い
甲状腺専門の病院で精密検査を受けることに。

もしかしたら
橋本病とか
バセドウ病なのかな
と思っていたのですが

「甲状腺は肥大していません。誤診です。」
とお医者様。

何だ誤診か…
と思っていると

「でもね…落ち着いて聞いてくださいね。」
とレントゲンを見せながら

「1cm大の腫瘍があります。 見た感じ、悪性だと思います。
つまり、悪性癌が見つかったということです。」

25歳にして癌が見つかってしまったのです。

癌になり、生き急ぐように

癌の宣告を受けて頭が真っ白に…
とはよく言いますが

私は至って冷静で
「あーそうですか」 という軽い感じでした。

どちらかというと
もしかしたらこのまま手術が失敗したりして
死ねるかも
という期待のが大きかった
かもしれない。

ずっと
自分の存在価値を感じられず生きてきたので
それもありかななんて思っていました。

合理的、必然的な死に憧れる感覚というか。
無念な死を遂げた みたいなものに憧れていたんだなと
癌を宣告されたときに気付きました。

そんな気持ちだったので
手術前日まで
なんの不安もなく過ごしていました。

そう、「手術前日」までは…。

手術の前日から病院に入院するのですが
その時の夜は不安に押しつぶされ
非常に恐ろしかったのを覚えています。

死ぬような癌ではないのだけれど
万一
手術が失敗したら

「死ぬのかもしれない…」

そう思うと
自分の頭に人生の走馬灯のようなものが流れ
私はまだ自分の人生を生きていない
と強く思うようになりました。

そして、手術が成功して
生きながらえたらそのときは
後悔しない人生を生きたい
と強く思うようになります。

それがまた間違った方向に突き進んでしまうきっかけになるのですが…。

劣等感に押しつぶされた20代後半

癌の手術を終えた後
私は
生き急ぐようになりました

時間を無駄にしたくない
人生後悔しないように
思いっきり何かに打ち込んでいなければ…!
そう思うようになります。

その勢いで
ベンチャー企業の
新規事業部に転職します。

そこで仕事を
「教えてもらえる」 と思っていた私は
かなり衝撃を受けることになります。

そこで働いていた人たちは
皆その事業の初心者。

というか新卒とか20代の人ばかり。
でもとにかく皆、できる!!!

もちろん
仕事が。
常に上を目指すための勉強が。
わかりやすい説明が。

「頭がいい人ってこういう人たちのことを言うのか」
とかなり衝撃を受けました。

この人たちの中では
「教えてもらえる」 というスタンスではダメで
自分で勉強して追いついていくのが当たり前。

「大学院で統計使って研究してました」等
とにかく何かしら
「学生の時に極めてきました」
というような人ばかりで

もう何なんだ…と。

私にとってパラダイムシフトが起きたかのような感覚でした。
今まで生きてきた自分の価値観が
全て否定された
かのように感じました。

私はどうして今まで
何の危機感も持たず勉強してこなかったのか。

この職場にいるのが
恥ずかしくて恥ずかしてく
とにかく努力しなくてはと
何かに取り憑かれたかのように以前にも増して働くようになります。

でも
そもそもの基盤がないので
どう勉強していったらいいかもわからない
人前で話せない。
赤面して、手が震える…。

そこでまた
酷く自己嫌悪に陥っていきます。

結局
頑張っても周りと比べて達成感を感じず
初めてやる仕事ばかりで
試行錯誤して疲弊する
というようなことの繰り返しになります。

そして
心身ともに疲弊し
逆流性食道炎を毎年のように繰り返したり
身体にも支障をきたすようになります。

それでも
自分の身体を省みることなく仕事を続けていきました。

子供ができる前までは、まだ良かったのですが。
結婚•出産し、自分の管理だけで済まなくなった時に
どんどん
なし崩しに心と体が壊れていくことになります。

出産後・職場復帰を機に、うつ症状が出る

私のうつ症状のはじまりは
産休明けで仕事復帰した年でした。

職場はベンチャー企業だったこともあり
1年休むと浦島太郎状態。
知らない人だらけ。
やり方も全然変わっている。

産休明けの脳みそでは
周りのハイスピードな思考回路に到底ついていけませんでした。

更に
職場復帰しても授乳が終わらず
深夜・早朝関わらず
子どもに起こされる状態でした。

夜中にぐっすり眠れない状態で仕事に行くと
もちろん仕事中ろくに頭が働きません。

でも仕事は大量にふられる。
当初は、新しい人が入ってくるまでだから
と言われていたので
それまでと信じて待っていたのですが
採用がうまくいかず 結局1人で任されることに。

それならば
自分でどうにかしようと
どうにかくらいつこうと頑張りました。

でも、何をしても空回り。
それでも
できないなんて言ったら自分の価値がない。

そう思い、 すでにいっぱいいっぱいのくせに
どんどん周りから頼まれる仕事を
「いいですよ」
と快く引き受けて行きました。

子どもの熱で仕事にいけない時も
周りに迷惑をかけていることで不安になり
休んでいるのに家でも仕事のチャットやメールの対応

仕事をしなきゃと
泣いている病気の我が子を放っておいたこともありました。

その後我に返り
子どもが一番大事なはずなのに何をしているんだろう
酷く自己嫌悪に陥っていました。

そして
復帰して半年ほど
日々の焦りと不眠がつのり
仕事で大きなミスをしてしまいました。

ミスをしたのは私なのに
子どもの迎えにかなくてはいけないので
後始末を人に任せないといけない。

なんて私は無価値なんだ」と自分を
責めて
責めて
責めて

そこから 本格的に
心が
体が
壊れていきました。

眠れない
食べれない
周りがみんな自分を責めている様に感じる。

ズキズキと
心臓のあたりが痛み
キリキリと
胃が痛み

腰も首も痛くて
日常の動きが辛い
そんな身体症状も出てきました。

それでも
私が、仕事できるようにならないと
私が、子どもの相手をしないと
私が、家事をしないと
と、全部自分で抱え込んでいました。

そうして
疲れ切って家に着くと
倒れ込む様に横になるようになっていきました。

1歳の子どもに
遊んでと泣きつかれても
ただただ
「ごめんね、ママ疲れちゃって…」 と言って何もできない。

そんな自分にますます嫌気が差しました。

保育園でも 少しお迎えが遅れたり
忘れ物をしたりすると
「この親はどうしようもないな」と思われていないか
陰口を言われていないか
そんなことばかり気にして

仕事以外でも
人からの評価を恐れ
人とのコミュニケーションが怖くなっていきました。

そうして、 だんだんと
過去の自分も責めるようになっていきます。

あの時もあれができなかった
これができなかった
自分は結局何をやってもダメなんだ。

そんな思考で頭がいっぱいになりました。

でも誰にも相談できず
ただただ自分が無価値だと感じる日々。

そんなある日
電車を待っているときに、ふと思いました。
「こうやって疲弊していく人が電車に飛び込むんだろうな」と。

そんなたった一度の考えが
電車を見るたびに
毎回そう思う様になっていきました。

そしていつからか
「飛び込んだら楽になれるのかな」
考えるようになり
他人事がどんどん自分ごとになってきました。

うつ病・適応障害の診断を受けて気づいたこと

幸い私にはまだ理性が残っていました。
「このままだと、最悪の状況が待っている」
「愛おしい我が子だけは不幸にしてはいけない」
そう思い立った時に
善は急げと心療内科に行く決意をしました。

予約もろくにせず向かった病院で
たまたま空きが出てすぐに診察してもらえたのは
なんだか運命を感じました。

病院で「家事と、仕事と、育児の両立がうまくいかなくて…。」と
話し始めると
涙が勝手に溢れてきて止まらなくなりました。

今まで誰にも言えなかった
辛い
暗い
泥沼のような感情
それらを伝えることを、涙が手伝ってくれました。

ティッシュを差し出してただただ聞いてくれた先生。
子育てとの両立がいかに大変か。
それを知らない会社との間で
疲れ切って来院するママは多いですよ

授乳しながら、食べない、寝ないとなると
身体が回復する暇がない状態です。

今の状態を続けると、動けなくなりますよ。
授乳をしていたら、薬も出せません。

何より休息が必要ですから
明日から一旦会社は休んでください。」

そしてうつ病か適応障害だろうと診断を下されました。

この後に及んでも私は
「でも仕事がたくさんあって休めません。」
と言っていました。

休めないじゃなくて、休むんですよ
休めないと思っているのは思い込みです。
休むためにはどうしたらいいかだけ考えてください。」

そういう先生の後押しの言葉にハッとさせられました。

そうか『思い込み』か」と。
今なら思います。
休めない仕事
その人しかできない仕事
というものがあるならば
それは会社として破綻しているなと。

必ず代わりに仕事をできる人がいるからこそ
会社は成り立っているんですよね。

そんなことにすら気付けない
「思い込み」
「先入観」
その恐ろしさと

自分のこの思考パターンは
今に始まったことではない
ということに気づきました。

カウンセリングを通して、「自分を苦しめる思考パターン」に気づく

そこから私は休暇ではなく
仕事を辞めることを選び

自分の思考パターンの原因を知るため
自分の思考パターンを書き換えるため
カウンセリングを受けたり
自分でも心理学や脳科学の勉強を続けました。

そうして最初にわかったことは
・人から頼まれると断れない
・人に任せられない
・人からの評価を気にする
・人に迷惑をかけたくない
こういった考え方を持っている人は(正に私ですが)
往々にしてうつ病になりやすいということ。

これを変えない限り
同じような状況が現れた場合
また同じような思考パターンに苦しむことになるのだと。

また、このような考え方をするようになったきっかけは
やはり子供時代の母親の声かけや態度が大きかったのだと気づきます。

ゴロゴロしていると
「いつまで寝てるの!暇なら◯◯して!」
部屋が片付いていないと
「まったく、浮浪者ね!」
何かを頼もうとすると
「自分のことは自分でやりなさい」
そんな言葉をよくかけられていたのを覚えています。

だから
「ダラダラしてはいけない」
「毎日家事をしないといけない」
「人を頼ってはいけない」
そんな強迫観念のようなもの
私には纏わりついていたのでした。

そのことに気づかせてくれた
カウンセラーの方から

「休んでいい」
「家事なんて毎日やらなくていい」
「人を頼っていい」

そう言っていただけたことが
私の人生が変わる出発点だったと思います。

夢と希望を持って仕事に打ち込めるように

そうして
同じように自己肯定感を高く持てず
生きづらさを感じている子供たちを減らしたい
そういった「夢」を持てるようになります。

そして
その時たまたま見つけた
児童発達支援の求人に応募し無事採用。

そこでは
集団に馴染めない
集団に埋もれてしまう
そんな子供たちが多い場所でした。

発達障害の分野のみならず
子供の業界が初めてだった私は
とにかく無知で

それでもこの子達のために
思い悩む母親のために
助けになりたいと

暇があれば
発達に関する本を読み漁ったり
講義を聞きに行ったりと
無我夢中で勉強しました。

そうして勉強しているうちに
発達を促すには 栄養・感覚・呼吸・睡眠など
根本的なアプローチが多方面から必要であることを知りました。

また、それらは子供に限ったことでなく
親自身の生活から見直さなくてはいけないことだと気づきます。

分子栄養学に出会い、心身ともに軽やかに

発達障害の症状を引き起こしている1つの要因が
「質的栄養失調」になりやすい現代の食卓
ということを知ります。

その事実に衝撃を受けた私は
より深く知りたいと思い
分子栄養学の勉強を深めました。

そして
私自身の人生において
いかに栄養を疎かにしていたか
ということに気づきます。

小学校時代の摂食障害
それ以来ずっと続けていたダイエット

高校時代から20代にかけての
不規則な生活
深夜までの残業
睡眠不足

そうして出産を迎えた私は
相当な栄養不足状態だったと思います。

さらには授乳を3年間続けていたので
栄養の観点から見ても
疲労感や焦燥感、うつ症状が出て当たり前でした。

知識を得てから
意識的にサプリメントや食事、生活習慣を変えたことで
不眠や疲れやすさの解消に劇的に繋がったのです!

身体ってこんなに軽かったのか! と、心身ともに軽くなるとともに
仕事から帰ってきて
疲れてできなかった家事ができるようになり
子どもがちょっということを聞かなくても
イライラしなくなり
子供と少し遊んでから寝ようかな、と
子供との時間を増やすことができたりと
生活自体が好転してきたのです!

家庭崩壊寸前?!そんな方の想いを吐き出してほしい

ここまで私の半生をお伝えしてきましたが
心身ともに、家庭すらも崩壊寸前だった私が
今夢や希望を持って生き生きと生活できているのは
第一に適切な人に相談できたこと
がとても大きかったと思います。

人に頼れなかった私が
カウンセリングを通して
誰にも話せなかった思いを吐き出せたこと

そして
自分の思い込みに気づけた事
考え方を変えることができたこと

そこがスタート地点だったと思います。

さらに
分子栄養学を通して適切な知識を得て
食事や生活習慣の見直しができたことで
この先も滅多なことで不調にはならなだろうという
自信にも繋がっていきました。

不調を繰り返さないための
心と体の根っこに栄養を与えられるようになった
という感覚です。

私と同じように
子育て中にネガティブな症状で悩む方がいたら
思考と身体を根本から変えていくこと
子育てをより軽やかにし
自分の人生すらも好転させていくということを
早く知って欲しい!

そう強く願っています。

子供が小さくて可愛い時期はあっという間に過ぎてしまいます。
子供は大人になってから覚えていないことかもしれませんが
6歳までに脳の9割が出来上がってくると言われています。

その一番大事な根っこを育てる時期に
疲れて、イライラして
思ってもない言葉を口にしてはいませんか?

そのモヤモヤとした感情や思いで
家庭を崩壊させてしまう前に 是非一度、私に吐き出してみてください。

あなたにとっての 人生転機の芽が出るよう
全力でサポートさせて頂きます。

こんな症状で悩んでいる方…
 イライラして子どもを叱ってしまった後、罪悪感を感じ
メンタルの波が大きい
眠りの質が悪く疲れが取れない
自分なんて…と卑下することが多く涙もろい
子育てを機に自分への嫌悪感が増している

そんなあなたのご相談をお待ちしています!